昭和40年代から50年代にかけ、電子オルガンはピアノと共に一大ブームとなり、オルガンコンクールも隆盛を極めました。ところが、事業再構築の過程でオルガンコンクールの資料は散逸し、情報を得るのは困難な状況です。ここでは、当社に保管されている電子オルガンやオルガンコンクールの資料をまとめ、当時の雰囲気をお伝えしたいと思います。

1. オルガンコンクールの時代

電子オルガンは、昭和40年代ヤマハエレクトーンをはじめ、カワイのドリマトーン、日本ビクター(現、JVCケンウッド)のビクトロン、松下電器産業(現、パナソニック)のテクニトーンなど、楽器メーカーや電機メーカー各社が参入し、開発を行なっていました。電子オルガンの歴史の中でも特筆するものとして、オルガン演奏者の技能向上や底辺を拡大するためのイベント、コンクールの存在は欠かせないものです。

ヤマハでは「エレクトーンコンクール」、カワイでは「ドリマトーンコンクール」を毎年開催していました。

2. ビクトロンコンクール

ビクトロンコンクールの概要

ビクトロンコンクールは、日本ビクター株式会社の音楽教室部門であるビクター音楽教室本部の主催で1971年(昭和46年)から1990年(平成2年)まで開催されていました。全国で開催された地区大会(予選)を勝ち抜いた代表が全日本大会に出場、全日本大会は例年中野サンプラザホールで開催されていたため、ビクトロン演奏者にとって中野サンプラザは高校球児の甲子園のような存在、憧れの舞台でした。

第5回ビクトロンコンクール

ビクトロンコンクールは1990年(平成2年)に開催された20回をもって終了し、1991年(平成3年)からビクター・テクニクスミュージックフェスティバルと改められました。

ビクトロンコンクールの歴史 (1971-1990)

ビクトロンコンクールの歴史、大会プログラムなどを紹介します。

名称開催日会場
第1回ビクトロンコンクール1971年12月5日丸の内パレスホテル
第2回ビクトロンコンクール1972年千代田公会堂
第3回ビクトロンコンクール1973年中野サンプラザ
第4回ビクトロンコンクール1974年中野サンプラザ
第5回ビクトロンコンクール1975年中野サンプラザ
第6回ビクトロンコンクール1976年中野サンプラザ
第7回ビクトロンコンクール1977年11月27日中野サンプラザ
第8回ビクトロンコンクール1978年12月3日中野サンプラザ
第9回ビクトロンコンクール1979年11月25日中野サンプラザ
第10回ビクトロンコンクール1980年11月30日中野サンプラザ
第11回ビクトロンコンクール1981年11月29日中野サンプラザ
第12回ビクトロンコンクール1982年11月28日中野サンプラザ
第13回ビクトロンコンクール1983年11月27日中野サンプラザ
第14回ビクトロンコンクール1984年11月25日中野サンプラザ
第15回ビクトロンコンクール1985年12月1日中野サンプラザ
第16回ビクトロンコンクール1986年11月16日中野サンプラザ
第17回ビクトロンコンクール1987年11月15日中野サンプラザ
第18回ビクトロンコンクール1988年11月13日中野サンプラザ
第19回ビクトロンコンクール1989年11月23日中野サンプラザ
第20回ビクトロンコンクール1990年11月18日中野サンプラザ

3. ビクター・テクニクス・ミュージックフェスティバル

ビクトロンからテクニトーンへ

1990年(平成2年)、松下電器産業、日本ビクターは双方の音楽教室部門を統合し、ビクター・テクニクスミュージック株式会社(VTM)を設立、オルガンのイベントは、「ビクター・テクニクスミュージックフェスティバル」へと新装しました。

フェスティバルで使用する楽器はテクニトーン(松下電子オルガン)に一本化されることとなりました。しかし、音楽教室のコンテンツは日本ビクターの方が充実していたため、コンクールの内容はほぼビクトロンコンクールを継承したものとなりました。システムや部門名称はもとより、審査委員長は前田憲男氏が、司会者も中島績、若林真弓両氏が引き続き担当していました。

このように両社は一度事業を再構築しましたが、再度見直しを行なうことになります。

ビクターテクニクス・ミュージックフェスティバルの歴史 (1991-2001)

ビクター・テクニクス・ミュージックフェスティバルの歴史を紹介します。

名称開催日会場
第1回 ビクターテクニクス・ミュージックフェスティバル1991年8月17日練馬文化センター
第2回 ビクターテクニクス・ミュージックフェスティバル1992年8月2日大阪厚生年金会館
第3回 ビクターテクニクス・ミュージックフェスティバル1993年8月8日中野サンプラザ
第4回 ビクターテクニクス・ミュージックフェスティバル1994年8月6日中野サンプラザ
第5回 ビクターテクニクス・ミュージックフェスティバル1995年8月5日中野サンプラザ
第6回 ビクターテクニクス・ミュージックフェスティバル1996年8月4日中野サンプラザ
第7回 ビクターテクニクス・ミュージックフェスティバル1997年7月27日日本青年館
第8回 ビクターテクニクス・ミュージックフェスティバル1998年8月2日日本青年館
第9回 ビクターテクニクス・ミュージックフェスティバル1999年8月1日日本青年館
第10回 ビクターテクニクス・ミュージックフェスティバル2000年7月20日日本青年館
第11回 ビクターテクニクス・ミュージックフェスティバル2001年8月5日日本青年館

4. ローランド・フェスティバル

テクニトーンからミュージック・アトリエへ

松下は21世紀を前に社業の抜本的見直しを行ない、楽器事業もその対象となりました。

2001年(平成13年)9月、VTMはローランドに音楽教室事業を売却し、ミュージックフェスティバルはローランドが継承することとなりました。余談ですが、ローランド創業者の梯郁太郎氏はエース電子工業の創業者でもありますが、松下は楽器事業に参入した当初、エース電子工業製の電子オルガンをOEM販売をしていた時期がありました。

こうして、フェスティバルで使用される楽器はローランド・オルガン 《MUSIC ATELIER》に変更となりました。ビクトロン演奏者にとっては10年を経て二度目の楽器変更でありましたが、楽器製造を生業とするパートナーを得ることができました。

※ 第12回以降は、「ローランド・オルガン・ミュージックフェスティバル」「ミュージック・フェスティバル」として開催されています。

詳しい情報は、ローランド・ミュージック・スクールのサイト